『木星のおおよその大きさ』に関して④
セリフを溶かす、セリフを捨てる

演じる際に演技者は各ラインをそれぞれに走らせる。この捉え方をすることで、よりターンテイキングが複雑な会話を生むことができる。
「セリフを溶かす」という表現をして、演出の際に今回の稽古場ではよく両手の指を組み合わせるようなアクションをしていたような覚えがある。

■セリフを捨てるように

それは交互に発されるセリフの喋り出しを相手の台詞がまだ発されている最中にしてほしいという指示だ。普段私たちは会話をする時、当たり前のようにそうしている。
そしてセリフはなるべく「捨てるように」発すること。そうすることで、脚本がもつ「意味」の段階を抜け出して、「状況」の段階へと移る。つまりそこに〈劇〉が立ち上がる。

「状況」が舞台上に発生している。そこでは俳優(=登場人物)がどういった事柄を話すかということより、どのようにそこにいるのかに一番の大きな情報が乗る。

各セリフの持つ「意味」は、そこでは「状況」を引き立たせるための役割しか持たない。つまり主ではなく従であり、この状態をつくりだすためには、いわゆる「セリフの解釈」をいちいち乗せたセリフの発し方では追いつかない。それだと「意味」が重すぎるのだ。

■ノコギリを押し出すように

ここでようやく「間」が効くようになる。「間」が意味をもつようになる、といった表現がいいだろうか。ノコギリは手前に引く時に材木を切る。つまり引くためにノコギリを押し出すのである。押し出すときに力を入れても材木は切れない。この押し出す時の感覚でセリフを発する、という喩えはどうだろう。

〈劇〉は脚本の解釈を舞台上に示すことではなく、脚本の言葉を用いてそこに立ち上げるものだと思う。つまり脚本に従属するものではなく、脚本に対して優位に立つ。ここに来てようやく〈劇〉は「意味」から解放される。

劇作家・演出家。 愛知県出身。 2007年-2015年、演劇カンパニー「わっしょいハウス」にて、主宰・劇作・演出として活動。現在は個人名「犬飼勝哉」として作品を発表する。