劇場に入るということ

6月18日よりアゴラ劇場の舞台に俳優が立ちながら稽古ができるようになった。

今までの稽古場所とは明らかに違う位置から作品を観ることになった。そして天井は稽古場よりも高く俳優の声は響き、今までの俳優との距離は失われたように思った。また照明が照ることで劇場はその場が持つ「劇場性」を増し、劇場に来たものを来場者として迎える。これらのことは決して稽古場では感じ得なかったことだ。そしてその劇場に戯曲が乗ったとき劇場はその言葉に服従させられてしまうのか。

「劇場」でやるということ/「劇場」とやるということ

今回は後者の考え方のような気がする。ブラックボックスという場があって初めて戯曲が立ち上がってくるように思う。戯曲の内部の広がりと現前にある劇場区間の拡がりの拮抗がこの作品には強くある。きがする。

 

 

 

 

1995年栃木県生まれ。 立教大学現代心理学部映像身体学科、卒業。 2016年に同学科教授・松田正隆氏が代表をつとめる、マレビトの会のプロジェクト・メンバーとなる。フェスティバル/トーキョー16主催プログラム『福島を上演する』に演出部として参加する。(2018年現在、マレビトの会演出部に所属) フェスティバル/トーキョー17「実験と対話の劇場」では、演劇作品『驟雨』(作・演出)をあうるすぽっとにて上演した。