『木星』についての疑問点の列挙

6月16日、各場面の全体稽古が行われた。私は全体を通してみることだけでなく、他の場面を見ることすら初めてだった。2時間を超える通し稽古が終わった後外はすっかり暗くなっておりお腹もぺこぺこになっていた。時間が長いだけでなく、内容自体も様々なモチーフを扱いながら密度が濃いものになっていて演出部の人間として考えなければいけない事項の多さに頭を抱えた。そしてそれらをどのように整理し記述すれば良いのかも判然としない。『木星のおおよその大きさ』はあまりにも不思議で不気味だ。そのため今回はあえて「日誌」でも「論考」でもなく、稽古中に疑問に思った点を簡潔に列挙するという体裁を取ることにした。適切な「問い」を立てることから始めたい。

1.
会話のテンポを切断する「間」は、どのような役割を持ちえますか?①その前のセリフを立ち止まって着目する(=内容)と、②切断することで逆にテンポが良くなる(=形式、聞きごこち)の2つを考えましたが、どのように使用すべきでしょうか?

2.
ジェンダーバイアスや喫煙など、今日シリアスに語られやすいモチーフを(あえて)扱うことに必然性はありますか?

3.
あざとい(記号的な)まなざしと、そうでない控えめなまなざし(ある種の状況としてのもの)があるように見えましたが、両者はどのような役割をそれぞれ持っていてどのように利用されていますか?

4.
「この星の生命体」と「この星の生命体ではない」生命体は、どのような違いがありますか?あるいは、その違いを明確にして分ける必要性はありますか?

5.
「木星」とは、「(舞台それ自体としての此岸に対する)到達できない彼岸」のことですか?

6.
「フィクションが実はリアルと地続きである」ことの暴露や「リアルが実はフィクションと地続きである」ことの暴露がユーモアになっているのだとすれば、『木星のおおよその大きさ』は、フィクションとしての演劇でもリアルとしてのドキュメンタリーでもなくなり、一体何になるのでしょうか?

 

1998年生まれ 千葉県出身 上智大学文学部哲学科在学中 過去作に『ディスプレイには埃がたまっている』(wwfes2018 演劇コンペティション「演劇のデザイン」参加作品)