[日誌]6月9日『木星の逆行』4

稽古場に着くと犬飼さんと前原さんが既にいて、僕のすぐあとに渡辺さんがやって来た。
先日の合同稽古を除けば、前回の稽古から1ヶ月近くが経っている。始めに衣装の話を少しして、それから座って読み合わせをする。
次いで立って稽古をしては犬飼さんが指示をするというのを数度繰り返す。が、次第にどうもうまくいかなくなってきたため、休憩を挟めてから再び座って読み合わせをすることになった。

立って芝居をする際、座っての読み合わせ時と同量の情報をセリフ内に留めておくという難しさがあり、それがうまくいかない原因の一つにあるようだった。
座って身体が固定された状態のときは、セリフでの情報の受け渡しのみに専念できるが、立つと身体で情報を受け渡すこと、つまり身振りや視線についても考えなくてはならず、意識が拡散する。そして、身体やセリフの情報のことを意識しすぎると、発せられる言葉は登場人物の「意識」から離れ、会話の構成要素たり得なくなっていく。これはおそらく、「状態」を意識するあまり、その前提となる「状況」を結果として軽んじる形となった、ということだろう。(「状況」と「状態」については後述する)
また、この問題は、会話中にどの言葉を相手の言葉に被せるか、という話にも繋がっているように思う。相槌のタイミングなどはその最たる例で、こうしたものをメソッド化するにはおそらく、普段人はどの段階で相手の言いたいことを理解しているのか、ということを考える必要があるように思う。
無意識で行われていることを再現していくことはひどく難しい。安田雅弘の『《演劇的知》について』(http://www.yamanote-j.org/uptown_archive/shisou.pdf )のことをなんとなく思い出した。

しかし、もしかしたら犬飼さんの指示が適切に伝わりきっていない可能性というのも、うまくいかなかった原因の一つとしてあるのかもしれない。犬飼さんから「演技がぼんやりしてきた」と止めが入るのは、だいたい彼から割合抽象的な指示が飛んだあとだったからだ。
抽象的な指示というのは、登場人物の纏う雰囲気、言動の重さ、「状況」と「状態」について、など。
特に言動の重さ / 「状況」と「状態」については少しばかり齟齬があったようにも見受けられたが、実際のところどうなのだろう。
上記について自身の所見を述べると、まず、「言動の重さを軽く」という指示については、それをセリフを発するときの一瞬の溜めや不要な間投詞を削ぐ、と捉えた。また、状況と状態については、そのセリフが発される要因となった環境(相手との関係や相手の発言)と当人(つまりは登場人物)の意図を状況、その状況下での人物の発話の仕方や身振りが状態、と考えた。いずれも、あくまで僕が犬飼さんと俳優のお二方のやり取りを聞いていてそう認識しただけではあるが。

今回の稽古はそういう感じで、なかなかうまくいかなかった点がいくつかあり、多少もやもやを抱えた状態で稽古を終えることとなった。
しかし、渡邊さんも前原さんも「うまくいったときは、セリフを交換することで情報を与え合い、互いに影響を及ぼし及ぼされている感じがある」ということを言っており、それは犬飼さんがしばしば口にする「グルーヴ」なのでは?と感じた。もしそうであるならば、やはり目指しているところは同じであり、その軸がよりシンプルに強く立つことで今回の靄は一気に晴れるのではないだろうか、とも思えた。

夜の帳は生暖かい。向かい風は強かったが、「風が強いですね」という会話はまったくせず、渡邊さんと前原さんと稽古について話をしながら駅まで歩いた。

早稲田大学 文学部 演劇・映像コース演劇系在学中。