[日誌]6月6日『真昼に見える木星』4 出演者・松竹です。

稽古場に着くと犬飼さんと深澤さんが先にいて、話をしていた。前回の稽古でもそうだった。この日、『真昼』の稽古は一ヶ月と一週間ぶりである。随分と間が空いた。しばらくして渡邊さんが到着。

最初に立ってやってみる。二場とのつながりをイメージしながら、犬飼さんが動きを指定する。舞台上に出てセリフが始まるまで、つまり役者が役として機能しだすまでは素の状態で歩いてくる、という指示。決められた位置でセリフが始まる。前回の感覚を思い出しながら、というよりもはや探しながらという状態になってしまう。覚えたつもりのセリフも、いざやってみると出てこなってしまう。この時の焦りったらない。渡邊さんもそのようで、脚本の後半あたりからはセリフを絞り出しあうゲームのようでもはや笑ってしまった。なんとか最後までたどり着く。

座ってやってみる。いくつかのブロックに分け、同じ箇所を繰り返す。座っていると体の芝居を考えなくて済むので、頭がクリアな状態でセリフが発せられ、体もいくらか軽い気がする。演じることには重さ、質量があるのだろう。
だんだんセリフが頭に入ってくる。犬飼さんが間の長さや「〇〇な感じで」と言い方などを細かく指定する。全体としては「きゃぴきゃぴ感」が欲しいとのこと。「きゃぴきゃぴって言い方古いよね」と犬飼さんは言った。しかしそれ以外に形容できない。

ブロックを進めながら、座ったまま続ける。まだひとつひとつのセリフが独立しているので台本にはない相槌など、発話のノイズを足していく。わたしがこの演劇で役のラインを保つためには、発話のノイズが必要だと思っている。稽古が始まってから、人の会話や自分が発する言葉に敏感になった。すでに書かれているノイズもあるのだが、文字化されたセリフを自分の中でどう処理するか、という日常にはない工程が挟まれるので、わたしは違和感を感じてしまう。しかしそこらじゅうの会話に気をつけていると、いくらでも聞こえてくる。「そうそう」「あー」「なんか」「たしかに」など。自分で無意識に言ってることに気づいたときが少し恥ずかしい。

一通り台本なしで通せるようになったところで、最後に立ってやってみる。意識してノイズを入れてみる。なぜ文字化されていない、自分発信のノイズには違和感がないのだろう。普段の会話でも、実は意識的に「あー」とか「なんか」とか言っているのだろうか。

1995年千葉県生まれ。 高校在学中に出演した自主映画をきっかけに、役者としての活動を始める。 <映像>「彦とベガ」(谷口未央監督)「戦慄怪奇ファイル超コワすぎ!FILE-01 恐怖降臨コックリさん」(白石晃司監督)「なりゆきな魂、」(瀬々敬久監督)など。<舞台>ナカゴー「キンダガートンコップ」ほりぶん「牛久沼」東葛スポーツ「短編集」など。