[日誌]6月1日『木星のおおよその大きさ』4

前回の稽古場日誌で「マイクリレーのような演劇」ということを書いた。それは、一人一人のラッパーが自己主張をしながらも緩やかな相互干渉があり、その上で1つの曲が成立しているような状態のライブと、今回犬飼さんが作っている演劇が重なるところがある、ということである。今回もヒップホップと演劇の交差点を中心に考えていきたい。先日犬飼さんがツイートで公演の演目のことを「セットリスト」と呼んでいたのもあり、犬飼さん自身がこのようなことを意識していることは間違いなさそうに思える。

最初に、日本語ラップのクラシックを改めて見直すところから始めたい。

いつもFresh F.R.E.S.H

産地直送フロウand I 輸送

My shit fly like ステルスのジェット

本目本命 オリジナル ボーズヘッド

(中略)

別称 ラップ魔人Dev Large 大峠

Illmatic Buddha MC’sの子倅

一度見りゃ雑魚忘れられねえ

(Buddha brand『人間発電所』)

ブッダブランドのメンバーがここで歌っている内容は、「俺マジやばくね?」の一言に尽きる。自分自身のライミングセンスやヒップホップマインドを徹底的に明示し、聴くものすべてを納得させる、そのような力強い意図を持って書かれたのが、結果的にもはや文字にしてみると訳がわからないような状態となっている。つまり、「俺、そしてブッダブランドが今一番やばい」ということ1点の主張のために、トラックとリリックが生成されそして歌われている。

今作の話に戻る。犬飼さんはいつしかの稽古の時に「何にも中身のない話をつないでいる 音だけで会社っぽい会話が取り繕われている」と言っていた。『木星のおおよその大きさ』は“会社派”演劇と銘打ちながら、しかし現代の日本の会社をリアルに描写・模倣するようなものには全くなっていない。むしろ作品を成立させるために会社というモチーフが使われただけであり、会社というものそれ自体をモチーフに選ぶ必然性はないように見える。また登場人物たちも、ラッパーのように確固たるアイデンティティの元でそれを社会に認めさせるために行動できるほどの強さを持たず、曖昧で一貫性を欠く言動を繰り返す。俳優たちは「俺まじやばくね?」と声高々に宣言することはせず(できず?)、内実を伴わない空虚なセリフを延々と続ける。しかしながら、と再び逆接になるが、そのような内容を持たない登場人物たちの内容のない言葉あるいは行動が、ある種の空間を生み出していることは間違いない。そのような空間を生み出すために稽古をしていると言って良い。この空間は、自分を社会の中でどのように位置づけ、どのように役割を得て、どのように労働し活動するか、という現代人に常について回る再帰的なセルフプロデュースの問題を、私たちの意識から切断する。そして(本来的に存在する)私という人間の曖昧さや非同一性を、おかしみを持って私に伝える。私は常に、私の思っている私から離れ続ける。そのような私の分裂を微笑みを持って上演する。『木星のおおよその大きさ』は、主張を失った、自己主張ができないラッパーによるマイクリレーなのではないか、というのが今回の私の見立てである。

1998年生まれ 千葉県出身 上智大学文学部哲学科在学中 過去作に『ディスプレイには埃がたまっている』(wwfes2018 演劇コンペティション「演劇のデザイン」参加作品)