[日誌]『木星のおおよその大きさ』3

集合してから、犬飼さんが、公演が迫ってきて色々混乱していると話す。近藤さんが「あんまり役者に言わない方がいいんじゃないの?」と返し、犬飼さんは「戯曲集の入稿とかで。」と、公演に加えて作業があることの困惑を口にする。近藤さんが、「美学校の生徒で、戯曲集が欲しいから速攻チケット買ったっていう人いた。」と話す。最終的に犬飼さんが「でもこういうもんですよね公演って」と言い、なんとなく気持ちが落ち着いた。

山科さんはカーキのTシャツに黒の短パンで、浅井さんは紺のTシャツに白の長パン。近藤さんはスーツだったが、上ワイシャツに下はくる途中で買ったというグレーのスラックス?を履いていた。犬飼さんはいつものペンキのついたカーキの短パンに黒のデカめのTシャツを着ていた。

一度座って通して読んだ後で、犬飼さんが「この脚本僕が書いたみたいじゃない、人の書いた脚本みたいって毎回思うんですよね。」と話す。

この日の稽古は全体として「グルーブ感」を生み出すための練習になった。2回目の通しが終わった時に犬飼さんは、「全体的にもっとセリフがごちゃっとしていい。それでグルーブが生まれる。グルーブが生まれることで繰り返しのセリフの効果がより強く出る。」と指示を出す。そして後半ではセリフのスピードを上げることを意識して稽古が行われた。

犬飼さんは割と音楽の言葉を使って指示を出すことが多いように感じる。前回の稽古でも「ラップのような脚本」だということを繰り返していた。そして時間をかけていく中で、なんとなくだが、犬飼さんのこだわっている音楽性のようなものがなんとなくわかってきた気がする。

わたしは稽古を見ている中で、ラッパーのマイクリレーをそこに重ね合わせていた。数人のラッパーがステージ上でマイクを持ちながらうろうろ徘徊し、時に観客にアピールをする。あるラッパーが歌っている時、小節終わりの脚韻だけを一緒に歌ったり、合いの手を入れたり、かと思うと普通に水を飲んだり、そしてフックが来ると全員で歌ったり、などなど。一つの曲なのだが、それぞれのラッパーの特徴(ライミング、フロウ、言葉の選び方など)が顕著に感じられ、ヒップホップ特有の「俺は俺だ。」がリアルに感じられる。そんな自己主張の数々が、しかし一つの曲としてまとまって成立している。

この、一人一人の自己主張と集団としてのまとまりが、音楽的に共存している状態、それを犬飼さんは「グルーブ」と呼んでいるのかと考えた。セリフを全体的に食い気味にして、それを一つとして独立させすぎないことによって、一つのセリフと全体としての舞台空間の共存をさせる。するとそこにグルーブが生まれる。無理やりパラフレーズするとしたらこうだろうか。

やっぱりまだ判然としない。

1998年生まれ 千葉県出身 上智大学文学部哲学科在学中 過去作に『ディスプレイには埃がたまっている』(wwfes2018 演劇コンペティション「演劇のデザイン」参加作品)