[日誌]4月30日『真昼に見える木星』3

4月30日『真昼に見える木星』3回目の稽古。入ってくると、松竹さんと深澤さんと犬飼さんがいて、すぐ渡邊さんが入ってくる。コートを着た渡邊さん、もう思い出せないけど今日はわりと夏日だったよな、暑くないのだろうかと思った。初めに渡邊さんが衣装を着てきていて、犬飼さん「やっぱりそれいいですね」。犬飼さん「目がかゆい」渡邊さん「ものもらいになっちゃいますね」犬飼さん「ものもらい?」みんな「あの、なんか目が痛く、なるやつ」犬飼さん「あ〜いろいろ呼び方があるのね」……

前回から台本が変わって初めての稽古。とりあえず一回読みましょう、ト書きは読みません。と言って、座ったまま3人が読み始める。読み終わる。これでいきましょうとなり、決定稿となる。2回目になり、「全体のスピードがあがった感じがする。セリフ数は前回よりも多いはずなのに、いいんだけど…。」本日計3回の読み合わせを経て、立ち稽古がはじまる。役者の配置を考える。最初はどこと言わず、役者になんとなく歩かせてみる。

犬飼さん「歩いてきたらどうなる?」

渡邊さん「この通り、人通り、多くなさそう…?」

各々がこの場に対する想像を膨らませていく。もしかしたらここに道路があって、喫煙所はこのへんで、いや、やっぱりこの辺で、向かいのビルの上には空が見えて…。座り稽古では言葉を身体に埋め込む作業を重ねていた。役者の身体のなかに、役それぞれの時間が途切れることなく流れることを目指す。その点とは別に、ここがどこであり、2人は何を見ているのかを考えること。状況を想像させるためには、役者の身体が本当にそこに生きていなくてはいけない。例えば、2人がOLっぽく見えて、観客がOLにとっての“昼休み”を見るにはどうしたらいいかを考える。財布を持たてみる。微妙な距離をとったまま立ち、向かいのビルの上の空を見ていることにして、時々スマホをいじってみたりする。2人は誰かを待っているのかもしれない、と観客は想像できるようになる。

この『真昼に見える木星』はフィクションである。稽古場で犬飼さんが口にする言葉として、この場では“0から物語を立ち上がらせること”がある。今稽古でも、ディティールのなさからディティールを生み出すことという言葉が何度も登場した。セリフひとつのニュアンスからでも、その人がどういう人なのかを想像できてしまう。「今日の服カワイイね」というセリフがあったとしたら、昨日までの服を着ていたこの人は、というディティールが立ち上がってくる。

犬飼さん「最終的に最初が最後に戻ってくる感じがほしいんだよね」

松竹さんによくある「てかさ」というセリフ。相手のセリフに被せたりすることで、それまでに積み重ねられていた時間が切断されたりする。それは役者対役者でもあり、役者対観客の関係においてもである。

犬飼さん「セリフは意図をこめすぎてしまう。セリフはひとつひとつがどうしても重くなってしまう。だから、僕が言った指示をそのままやる必要はなくて、その指示の感じを受けて、セリフにこめられた意図を軽くしていく作業になっていけばいい」

渡邊さん「この財布、母親にイオンで買ってもらいました。偽マリメッコ…」

ただの渡邊さんの財布から、母にイオンで買ってもらった財布に見えてしまって、愛着がうまれた瞬間。ディティール。

 

 

1995年 北海道出身 東京造形大学造形学部デザイン学科映画専攻 卒業