木星は
一周してみて
はじめてその大きさがわかる
昨年より長期間の制作を経てまいりました〈木星〉シリーズ。
完全版として『木星のおおよその大きさ』を2018年6月、上演します。
コメント
今を去ることウン年前、わっしょいハウスを最初に観た時以来、私は犬飼勝哉の才能を疑ったことは一度もない。
紆余曲折あったと思われるが、今回ばかりはガチでマジの勝負作、すでに私の期待は高まりまくっている。
演劇の「語り」について徹底的に考え抜いた彼だけが到達可能な、心地良く居心地悪い地点にわれわれ観客を連れ去ってくれることを確信している。
—佐々木敦(批評家、HEADZ)
「わっしょいハウス」から「犬飼勝哉」へ。
犬飼勝哉の更新は日本現代演劇の更新である。
—桜井圭介(音楽家/ダンス批評家)
昨年の短編を見て、やばい、演劇やりたい!と思いました。グルーヴしてました。
今作、チケット速攻で取りました。
今作、チケット速攻で取りました。
—額田大志(ヌトミック/東京塩麹)
某雑誌の演劇特集でどの劇団を取り上げるべきかと聞かれて真っ先 にわっしょいハウスを挙げたのに返信途絶えたのは何年前だったか 。その後、人気上昇、描く世界の範囲も広げ、なぜか名前は個人名 に。これが勝負作なのは傍目にも明らか。あの特集またやるなら次 は表紙だろ。
—九龍ジョー(ライター)
何年か前、今はなき清澄白河のSNACではじめて犬飼さんの演劇を観た日は記録的な大雪だった。東長崎の天空高くのびる階段をのぼっていく、みたいな話だった気がするけど全然違ったかもしれない。
話しているのか、聞いているのか、会話なのか、独り言なのか……。簡単そうでどこまでもわからない犬飼さんの演劇の言葉は、自分が考えている小説の言葉にもきっと近い、と思ったのでした。
あの大雪の日以来、僕は犬飼さんの演劇の言葉から、小説を書く刺激とヒントをたくさんもらっています。
話しているのか、聞いているのか、会話なのか、独り言なのか……。簡単そうでどこまでもわからない犬飼さんの演劇の言葉は、自分が考えている小説の言葉にもきっと近い、と思ったのでした。
あの大雪の日以来、僕は犬飼さんの演劇の言葉から、小説を書く刺激とヒントをたくさんもらっています。
—滝口悠生(小説家)
テアトロコントで「わっしょいハウス」名義で上演いただいた『木星からの物体 X』『木星の日面通過』、軽やかで心躍るような演目でした。犬飼さんの活躍が演劇の未来もコントの未来も明るくするはずです。全8編の上演がとても楽しみです!
—小西朝子(テアトロコント キュレーター)
運行する木星の時間と私たちの生活との関係が劇になるということは、現在のほうへと過去・未来を吸収しようとする「わたし」を起点とした時間感覚を、また別の時の流れへと開くきっかけだと思われる。このようなミクロドラマ(寸劇)の積み重ねは、一度も現在だったことのない過去(星の時間)と後先しかない順序の時間(持続)との偶然の出会いであり、ユーモアという意味の生成(出来事)である。社会秩序に規定されつつ自らの内的法則にのみ隷属する舞台芸術の息の根を止めるためにも、今こそ、犬飼勝哉の演劇「木星のおおよその大きさ」は必見なのだ。
—松田正隆(劇作家・演出家・マレビトの会代表)
わっしょいハウスはずいぶん見ています。犬飼さんはずっと自分の身の回り半径5メートルぐらいのことを描いてきたのに、2月にご一緒したテアトロコントでは、なんと会社営業コントでした。すごい距離感。もちろん、笑わせたいのか笑わせたくないのかよくわからないさすがなものでした。このコントが今回の作品の一部らしいです。これは楽しみです!
—山内ケンジ(城山羊の会)